来たる2007年4月29日から2日間、町田市自然休暇村で観測を行った。
参加者は5人。初日は3名が参加。信濃川上駅に着き、休暇村の職員の方に送迎をしていただく。途中ナナーズへ寄った。このとき見せた井口さんの礼儀正しさには同年代ながら感銘を覚えた。移動中のバスの中で早くも月が見えた。「今日はもらった」そう胸に秘め一同休暇村へ到着。
観望はなかなかのものだった。お客さんへの説明もそつなく終えた。そんな感じで1日目終了
2日目、途中参加の2人が駅に着き迎えに行く。
以下は再会したときの様子(多少の妄想を含む)「やっと、会えたな。」「……そうね。」「ごめんなんか、なんっていっていいかわからなくて。とりあえずそろそろ電車出るし乗ろう。」改札を通り過ぎホームで電車を待った。
5分もしないうちに電車はやってきてあっという間にまた去っていった。電車の中は暖かく、さっきまでの積もり積もった辺り一面の雪で冷えていた心と身体を暖めた。何気なく窓の外を眺めていると白く、本当に白いタンチョウがどこへ向かうとわからず飛んでいた………
観測の方はと言うと昨日とは一変してだだ曇りだった。「めぐみ雨女伝説は今年も好調に続いていくだろう……」そう予感した…。
ところが空はやや晴れだし、なんとか月を導入することには成功した。みんないきいきと解説していた。井口さんは望遠鏡に夢中だった。僕はその光景をみていて「機械をいじるのが好きだから工学部に入ったのか工学部に入ったから機械いじるのが好きなのか」というしょうもない鶏と卵論争を1人展開していた。
谷川は子供の相手が上手だった。それを見ていて僕はこう思った。「谷川のすごさはこんなところでとどまるもんじゃない」と。
実際、その子供の親に月の説明をするときもその親の立場に立って「こう言ったらわかってもらえるかな?」と自問自答を繰り返した上、さらに自分の知っている知識を伝えるために上手にたとえ話を多用していた。「そう、やっぱりなんだかんだ言って谷川は頭のいいやつなんだ。」
そう思い、そしてそう思ったことを今こうして筆を執っている次第であるが今ここに書いただけでは全く谷川の紹介はできていないだろう。なぜなら今日現在俺は谷川にであってちょうど1年たったくらいで、ただそのくらいしか年月はたっていないからである。そう、まだ2年生になって1ヶ月がたっただけ。
大学生活をマラソンに例えて言えばまだ折り返し地点も通過していないのだ。話は逸れるがこうして同じ目的を持った者同士が出会い、集まり、そして思いを物理的にも精神的にも形にし何かを作り上げる喜び???そしてそれぞれの過程の喜怒哀楽−……これらを得ることができるサークルに入れたことに感謝しようと思う。
我孫子さんは静かだった。結局その日は明け方まで曇っていたので室内で夜を明かした。天文研のプラネ委員兼エクササイズ委員の谷川の提案でみんなでエクササイズをした。日ごろの運動不足のせいか半分くらいがかちかちだった。自分がY字バランスをしたり開脚をすると、我孫子さんは数ヶ月か振りに自分を尊敬してくれました。ありがとうございます。当の谷川氏は翌日体中へんな筋肉痛だったそうな。
こうしてエクササイズを小一時間ほどして、井口さんは睡眠タイムに入りその横でUNOをし始めた。UNO自体久し振りで慣れるまでに時間がかかったが今回のUNOはそれ以上に精神的にしんどいものになった。UNOに勝ち罰ゲームを指示する者、UNOに負け指示に従うもの、それを傍観するもの。どの立場になってもその苦痛は変わらず、ある意味でみんなが敗者でした。
唯一の勝者は井口さんだったと思う。また時間が進むにつれてUNOとともに眠気とも戦わなくてはならなくなり、我孫子さんは自分の中での戦いに負けてしまったのか次々と迷言を言っていた「泣きたいときは泣いてもいいんだよ…電話ぁ、かけてこいよ」あのとき、我孫子さんは必死に「そんなこと言ってねーよ」と反論していましたが、大丈夫です。普段素っ気ないのは優しさの裏返しですよね。そういう我孫子さんの気持ち読めてなくて。今まですみませんでした。これからもよろしくお願いします。
p.s4月29日は谷川の誕生日でした。おめでとうございます。
文責:前田

